大好き私の"継続は力なり"旧26期 伊藤俊蔵
平成10年夏、私の大好きな女優松坂慶子が私の大好きな趣味の温泉と私の大好きな運動の卓球を題材とする映画"卓球温泉"に出演していると言うので見に行きました。卓球を使って山間部の温泉地の町起しをする楽しい娯楽映画で最後まで退屈せずに面白く見る事が出来ました。その中で私の興味をひき、共感を起こさせたのは、古い額に書かれた"継続は力なり"の格言を守り、ともすれば卓球を目玉に観光客を集める試みがうまくゆかず中断しようとする町の人々の心を奮い立たせて所期の目的を達すると言う内容です。
現在私が続けている二つの運動"ゴルフ"と"水泳"は夫々34年と12年続けており、何事も中途半端で止める"三日坊主"は駄目で最後までまじめにやれば何とか人並みについて行けると考えていたので、丁度この格言に当てはまると、最近は以前にもまして誰彼にも"何でも続けんとアカン、途中で止めたら物にならへん、頑張れ"と活を入れ、尻をたたいています。
因みに私は戦前、商業学校5年間と商大高商部3年間に剣道の夏の熱い合宿と冬の早朝の寒稽古は皆勤で普通の練習も余りサボらずに続けた結果武徳会3段の免状は取得しました。又貿易商社に入社後、昭和16年('41)から5年間駐在した佛領印度支那ハノイで始めたテニスは米軍飛行機の空襲警報の合間を縫って殆んど毎週日曜日は休み無く続け、昭和34年('59)頃3年駐在したヴェトナム・サイゴンでは唯1人の邦人テニス・クラブ員として毎週土曜午後と日曜日はコーチを含め現地の会員達と楽しくプレイを続けました。国内では社内大会や地区大会に出場し、時には優勝する程の素人としてはマア、マアの腕前でしたが昭和41年('66)ゴルフに席をゆづる事で25年間のテニスに終止符を打つ事にしました。
然しこれら2つの運動は現在やっていませんので他の機会に譲るとして、ゴルフについても今年になって著しく腕が落ち気が弱くなっている手前、後回しにして自慢の気配を少し織り込んだ水泳の話を先にしましょう。勿論私がこの格言を知ったのは最近3年位前ですから、実績12年の水泳は早くから意識せずに比の格言を実行していたことになります。
さて古い話ですが、私は商業学校2年生、昭和9年('34)13歳の夏に伊勢阿漕浦の水泳合宿のとき、10km5時間の遠泳をカエル泳ぎで完泳し、甘いアメ湯を浜で頂きました。又昭和26年('51)ボンベイや昭和34年('59)サイゴンで、ジャンツエンの毛製海水着で泳いだり、日本各地の海水浴場で家族と水遊びをしましたが、本格的な水泳とは50余年間全く縁がなかったと言えるでしょう。
昭和62年('87)5月人間ドックで大腸S字結腸ポリープ発見、8月切開手術の為入院、手術は順調で結果がよかったのですが、大腸壁室の一部が破れた為再度手術の後、人工肛門を上腹部に着け翌年3月之を外し正常肛門を使用出来る手術をする迄約8ヵ月の入院生活で両肩が冷えて上下左右に動かす事が出来なくなりました。整形外科のリハビリに通いましたが全く効果がありません。こんな状態が長く続く様では好きなゴルフともお別れは勿論の事、日常生活もする事、なす事全て憂うつでお先真暗、何とかせんとアカンと打開策を考えました。勿論以前から水泳が健康によいと言われており、何処かよい処は無いかと広告を見て探していた事もあり、丁度オープン広告の関西テレビ系"ライフスポーツKTV"を"渡りに舟"求世主様々と早速申し込む事にしました。
7月からシニア班が開始されましたが、何と30人余の中男性は唯の2人、他は40歳台から60歳台の、良い意味で言えば豊満な肉体の魅力溢れる私の好きなタイプのおばちゃん達です。週2回各1時間のレッスン、色気と健康の一石二鳥、本当に楽しく明るい和気アイアイのリハビリスポーツと相成りました。レッスン以外に自由時間の遊泳も出来ます。
但し何事にも基礎が重要、殊にスポーツには基本が第一、我流はダメです。下手なゴルフで身につまされて骨身にこたえた経験からも水泳では全泳ぎを初歩から手取り、足取りコーチの教える通り基礎から習う事にしました。唯水に慣れていたので仰向けで水に浮いたり、水中にもぐったり、宙返りをしたり、腹這いになったり等の泳ぐ以前の訓練は余り苦労はありませんが金槌同然のクロールと体力の要るバターフライでは"オバチャン連中に負けんとこ"と大変苦労と努力をしました。
日本マスターズ水泳協会のキーワードの第一番は"マイペースゆうゆう大きなストローク"とある様に熟年者、壮年者及び高齢者の水泳は早く泳ぐ事よりも長く泳ぐ事に目標を置くべきで、その為にストロークはゆっくり大きくする事です。25mプールで若い人が昔の日本流抜手泳法で水しぶきを上げて水車よろしく手を速く回転させ、もがく様に突進したり又は顔と頭を水面上下に激しく浮き沈みさせて元気一杯の泳ぎをされますが25m行っては休み、戻ってきては休みで之では我流もいいとこ長続きせず興味も半減し面白味も無くなり、何時まで経ってもうまくなりませんね。
現在の平泳ぎは昔のカエル泳ぎの様に腕は前方左右に広く廻さず、肩の巾で止め脇を締めて水を掻き、両腕をひっつけて真直ぐ前に出し、足は平たく広げずにW型に折り曲げて水を蹴る様に延ばすので根本的に変える必要があります。クロールは腕を廻わすのではなく、肩を大きく廻わし腋毛が見える程高く挙げ指先を前方遠く水中に伸ばし、多くの水を後方に力強く掻くと、ストロークも大きくゆっくりとなり楽な泳ぎが出来ます。私の得た感じから大きなゆっくりのストロークの人は小さく早いストロークは出来ますが小さく早いストロークに固まった人は大きなゆっくりのストロークは出来ないのではないかと思います。
さて、"ライフ・スポーツKTV"は私の所属する天六校の外、豊中、大和田、垂水、枚方、石橋、茨木の7場所があり毎年11月にオールKTV・マスターズ競技会と2月にロングディスタンス記録会があります。私は入会早々翌年('89)の競技会に出場しました。昔プールに飛びこんだ時に腹を打ち真赤にはれて、それ以後怖くて飛び込みはようしませんでしたが何度かの練習を積んでようやくプールサイドに立ち、皆より一秒程遅れて飛び込んだ様です。25m平泳27.81秒(年齢別2位68歳)驚いた事にクロール23.99秒(年齢別1位)。翌('90)の平泳は2.53秒短縮し25.28秒で1位、クロールは50mに出場、57.63秒で大会新記録と言う事は今まで69歳で出場した人が無かった為で之は翌年直ちに好記録で破られましたが涙なしでは見てられん感激のゴールでした。ヘトヘトに辿り着いたはいいけれど疲れ果ててプールサイドに上れません。見兼ねたコーチが手を引張って上げてくれました。その後('92)にはメドレーとフリーの両リレーにメンバー4人の一員として平泳とクロール夫々25mを継泳しました。平泳24.52秒1位、クロール21.63秒2位、('93)にはクロール21.02秒1位、両リレーには常連参加し、マスターズ連続5回参加賞と天六校年間優秀賞(MVP賞)の表彰を受けました。天六校プールの練習の際19.7秒の好記録を出しましたが、72歳では既に限界で前年の数字を維持するのがヤットでしょう。('94)平泳24.86秒1位、('95)クロール21.26秒2位、('96)クロール21.02秒2位、('97)クロール21.36秒1位、('98)クロール21.11秒1位に加え、毎年単独種目と両リレーに出場してきたので再びマスターズ連続10回参加賞を頂きました。こうなると次の目標は連続15回参加賞の獲得です。昨年('99)は平泳25.49秒、クロール21.32秒何れも年齢別1位でしたが2000年ミレニアムはどうなるでしょうか、頑張ってみます。
参考として70-74歳セミプロはクロールで5秒、平泳で5.5秒早く泳ぎます。やはり学生時代に水泳部に在籍したか、何らかの形で若い時に基本を習った方々の泳ぎは根本的に違うと思いました。
競泳の話はこの辺りで終り、前にも述べた様に高齢者の水泳は早く泳ぐ事よりも長く泳ぐ事に目標を置くべきだと、即ちスピードを競う競技よりもゆっくりと長距離を泳ぐ事が大切だと思っていましたので('90)初めてロングディスタンス記録に挑戦しましたと言葉は勇ましいが実はコーチが強制的に指名して、いやいや乍ら記録をとらせたと言うのが事実です。然しクロールで50mがやっとの実力では400mは平泳と仰向けカエル泳ぎを加えた3種目チャンポンで、更に25m一服し、折り返し25mで又一服すると言う変則で17分37秒掛かりました。それでも69歳年齢別で1位と言う事は他に誰も泳ぐ高齢者が居られなかったからです。
之に元気づけられ翌('91)には2回目の作戦を樹てました。即ち25m毎の一服を止め、その間仰向けカエル泳ぎでゆるやかに流し乍、疲れを取り前に進むと言う方法で12分9秒と前年比5分28秒の大巾記録更新となりましたが仰向けカエル泳ぎは邪道で、泳ぎじゃないとオバチャン連中から不平満々の声が起りました。他に方法がありませんので仕方なく('92)12分3秒('93)11分30秒と('94)11分23秒まで続けました。その中にクロールと平泳も少しはましになってきたので('95)には往路クロールで25m、折返し復路平泳の方法で11分19秒と何とか面目を保つ事が出来ました。然しコーチは"11分を切らんとアカン。その為にはクロールのみで泳がんと駄目だ"ときつく尻をたたかれました。
当時私は競技会では25mを21秒台で泳ぐ事が出来るし、長距離用のクロールもストロークは大きくゆっくりと余り変則的な泳ぎではありませんが惜しむらくは休みなしで150m、もう少し無理をしても200m程度しか泳げません。シニアのオバチャンでも若いレディスの人々と一緒に軽く500m、中には1kmを泳ぐ人も居ます。(変な恰好の泳ぎの人も大変多い)皆さんが励ましと慰めを込めて"200m泳げたら後は息の仕方一つでなんぼでも泳げます"と言われ、それではと練習を重ねている中に200mから300mそして400mから500mと長距離泳法の微妙な息の呼吸が分かってきました。
その結果翌('96)にはクロールのみで400mを10分47秒と11分を切り、更に('97)には9分58秒と10分を切り、この時期では1kmを楽に泳げる様になりました。('98)には9分44秒と14秒短縮し昨年('99)は欲を出し過ぎたのか前半の力みが後半のばてに反応し1秒短縮で大した成果は挙げられませんでしたが今年2千年は9分16秒と27秒短縮し、その上昨年の様にきつい疲れがありませんでしたので来年に希望が持てるのではないかと、年年衰えてくる体力にも拘らず、一縷の望みを抱いています。
さてロングディスタンス記録会には他に800mと1500mの部があり私達シニア級には遥かに遠い高嶺の花と思われていました。数年前にシニアの一人が800mに挑戦されていましたが、私は本当に"大した人やなあ"と感心した記憶があります。ところが400mのみに全力を集中していた3年前の('97)、もう一つのシニア班の人が800mを22分台で完泳したと言うニュースを聞いて、"之は負けておれん、私達のシニア班の対抗上(私達の方がレッスン開始の年数が古い)のメンツがある"と私なりの理由と意地頑固を掛けて一念発起し遂に800mに挑戦する事にしました。然し内心はビクビクで400mは平常の練習で泳ぎ馴れており、1kmも泳いでいるが、公式にタイムを取る800mでは途中で息切れや体力疲れで廃棄したら格好が悪いなあと不安と心配が一杯でした。この為に全KTVでも参加者は少なく殊に年配者は五指に満たない位です。"案ずるより産むが易し"の言葉通り完泳してみると21分50秒でマアマアの結果に胸をなでおろした訳です。
一度挑戦して結果がそれ程悪くないと判ると参加者の少ない800mに魅力を感じます。自慢し度い気も多分に混り400mと共に800mを長距離水泳の2種類と定めました。因みにこの年の参加者は全KTV女子38名男子21名、天六校では女子9名男子3名で、何れも65歳から79歳迄の部では参加者は76歳の私以外は無し。何とか好い結果を出し度いと考え次の2点を考え努力しました。
(1) 常に1kmを泳ぎ、長距離に不安をなくす。
(2) 50mを80秒で行けば16回で1280秒即ち21分20秒で30秒短縮出来る。400mでは75秒を8回で泳ぐパターンが出来ていますが、そうは問屋が卸しません。後半は疲れが出て来て速度が徐々に落ちて来るからです。
翌('98)は右の練習の結果、20分43秒と1分7秒の短縮で成果良好、参加者は全KTV男子15名天六校男子2名で70歳以上は私のみです。更に昨年('99)は20分10秒と30秒短縮、参加者は全KTV男子12名、内天六校3名で、女子は夫々23名と4名で、さすがに400mに比較して参加者は大体3分の1以下の人数です。然し参考迄にセミプロのタイムを言うと40‐44歳12分10秒、70‐74歳14分35秒と素晴らしく基本に忠実な泳ぎをされているのでしょう。羨ましいね。
今年二千年は前述400mで27秒短縮し、好結果を出しているので800mも昨年並の記録は維持出来るのではないかと思い、一方年年衰える体力に少し不安を持ち乍ら、400mのタイムを取った一週間後にタイムを取る事に決めました。心すべき要点は次の通りです。
(1) ストロークはゆっくりと、大きく腕を延ばして前方の水を掻き他方の腕は真直ぐ延ばす。
(2) 50mを平均75秒で泳ぐと16回で20分となり昨年のタイムが維持出来る。
(3) 固くなって前半を活きり過ぎてはダメ、後半に力を貯える様に、やわらかく力を抜く。
さて('88)年よりレッスンを始めて約12年が経過しました。熱心に練習を重ねマスターズに出場し、ロンディスタンス記録に挑戦している80歳前のオジイヤンは天六校の水泳仲間ではかなり有名になり"伊藤さんの名前を知らん者はモグリやね"と言われる程です。従って私の殊に800mの結果はオバチャン達の興味と注目の的です。"何とかなるやろう当って砕けろ"と冷静を保ち乍ら勇気を出して泳ぎました。右の3要点を頭に入れて考え乍泳いでいたと言う事は大へん落ち着いていたと思います。
50mを5乃至6回泳いでいる時に第一回の疲れが出て来ますが之を越すと10回即ち500m迄は割にスムーズに進みます。12-14回位が第二回の疲れで此処でふんばらねばなりません。16回が終りゴールに到着しました。コーチがタイムを言いましたが、私は耳が悪く殊にプールは声が散って聞き難いので大きな声で聞き直しました。"伊藤さん19分43秒で20分切ったよ"と言われた時は本当に涙が出る程、嬉しかったです。私は"やった"と心の奥でガッツポーズをとりました。"第一回の'97年から4年目で参加者の少ない800mで2分7秒も縮めたんや。それも76歳から79歳迄の4回に挑戦しての結果や。来年二千一年の21世紀2月には満80歳、何とか800mをタイム関係なしで完泳し度いなあ"と之が私の願望です。
人間には天から授かった持って生れた性質と能力がありますが之を補うのが努力と言う能力で之の能力は"継続は力なり"によって効力が発揮出来るのではないでしょうか。
平成12年5月10日