好評を博したNHKの連続ドラマ「あさが来た」に、実名で登場し注目を集めた五代友厚は、近代大阪の経済界の礎を築いた偉人です。数々の事業を手掛け功績を残すとともに教育にも力を入れ、天商のルーツともいえる「大阪商業講習所」を設立しました。
明治12(1879)年、福沢諭吉の門下生で「大坂新報」の編集主幹であった加藤政之助は、「日本の商業の中心地である大阪になぜ商業学校がないのか」という論説を掲載した。同紙の経営者であり大阪商工会議所の初代会頭であった五代はこれに応え自ら筆頭創立員となり、住友・鴻池といった 大阪の豪商や実業家からの寄付を募って、東京に次ぐ二番目の商業学校として「大坂商業講習所」を開設した。そののち大阪府に移管されたあと、大阪市制発足で市立大阪商業学校となり、天商の前身である市立大阪商業高等学校と大阪市立大学の前身の大阪商科大学へと発展した。
西区阿波座南公園内にある跡地の碑
五代友厚ゆかりの地
五代の最初の自邸は西区の靭本町(現・大阪科学技術館)にあった。明治8(1875)年の政府要人による大阪会議の開催前には大久保利通の宿泊所となり、碁を打ちながら談議をしたという。 (写真は五代邸で実際に使用されていた鬼瓦)
国産の藍がインド産のものに圧されているのを憂いた五代は、明治9(1876)年、政府から資金融通を受けて精藍事業に手を染め、舶来製の蒸気機関で動く当時としては最新の機器と300名の従業員を擁する精藍所を堂島に作り創業した。
五代は明治18(1885)年9月、享年49歳で東京にて死去。棺は船で神戸に送られ、当時の自邸の中之島に運ばれた。大阪に尽くした功績から、中之島邸(現・日銀大阪支店)で盛大な葬儀が行われ、阿倍野の墓地に葬られた。
今年の同窓会総会では、大阪大学名誉教授・宮本又郎氏の五代に関する講演が企画されています。宮本氏は、NHKの連続ドラマ「あさが来た」で時代考証を担当され、大阪産業創造館にある「大阪企業家ミュージアム」の館長も務められています。
ミュージアムでは関西をベースに活躍された企業家・創業者を多岐にわたって紹介・展示しており、五代友厚は初代大阪商工会議所会頭として、特設展示コーナーも設けられていますので 一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
(写真提供=大阪企業家ミュージアム)
五代友厚像をめぐる・・・・・大阪市内には五体の銅像があります
大阪ビジネスフロンティア高等学校
(旧天王寺商業高校)
大阪市天王寺区
JR環状線「桃谷」
大阪取引所
大阪市中央区
地下鉄・京阪電車「北浜」
光世証券
大阪市中央区
地下鉄・京阪電車「北浜」
大阪商工会議所
大阪市中央区
地下鉄「堺筋本町」
大阪市立大学
大阪市住吉区
JR阪和線「杉本町」
番外編
大阪企業家ミュージアム内の胸像