平成23年3月、グランヴィアホテルに77名が集い、互いの喜寿を祝賀して以来、早くも9年余の歳月が流れた。昨年からは年号も令和となり、高五回の同志が育った昭和の天商時代も遠くなりつつある。2019年10月27日、同窓会総会・懇親会が太閤園で開催され下記写真の8名が出席した。近年この総会には必ず参加し常連となっていた山尾護君が珍しく欠席したので、少々気掛かりであったが公私に業務多忙と聴いていたので特に心配はしていなかった。
ところが翌年の1月になって、沖本敏治君から拙宅へ緊急電話が入り、盟友であった山尾護君が突然亡くなったとの連絡があり暫し呆然とした。山尾君は、卒業後2年程の繊維会社勤めを経て、西区京町堀で、ニット関連の縫製会社「山泉」を立ち上げ海外にも進出、盛業を続けていたが、昨年初め靱本町に移転したと通知をくれたので祝い酒を送り、一度遊びに行くことを約束していた処だったので、これは誠かとビックリ仰天した。社業の地盤固めにも繊維業の中心である靭本町に拠点を移し高継者に繋ぐことを考えていたのだなとつくづく思った次第です。山尾護君は、C組布谷武次郎君他とも親しく、高五回の良きボスだった。
天商3年時には、山尾君が生徒会会長に当選し、40周年記念行事など、新聞部、速記部などと共に幅広く活躍し、多くの5期生に認められ面倒見も良かった。生徒会は山尾護会長以下、後期役員を次の面々で組織された。副会長・森川眞喜雄、酒井俊二、文化委員長・沖本敏治、体育委員長・松田一彦、厚生委員長・八木美智子 等々。
昭和27年は、創立40周年の記念すべき年であった。戦中戦後の途絶えていた記念行事を復活しようと企画され、中の島公会堂、大手前会館等で、記念式典、学芸祭、音楽会、体育大会、等々、先生生徒、やクラブ委員など総動員して各プログラムが企画されての一大行事だった。我々高5回生にとって、昭和27年は、大変思い出深い年となった。沖本君とは、有志内での「山尾氏偲ぶ会」をと話してはいるが、生憎の新型コロナに待ったを掛けられている状況です。
(増本 光男 記)
(集合写真 左から)石田、高畠、井澤、安田、赤川、片岡、沖本、増本。
平成30年度の天商同窓会総会が、昨年10月27日(土)日航ホテル大阪で開催され、高5会は各クラスの世話人など15名が参加した。例年、秋の総会に世話人はじめ7~10名の参加が通常であったが、今回はテーブルも2卓が用意され、少々会場的には端近でも、新しい顔々もみられて久方振りに大賑わいの歓談が続いた。
本年の令和元年総会は、来る10月27日(日)太閤園にて予定されています。今回は、早い目に参加申込手続きを願い、2卓20名の参加を達成したく思います。各位、旧友への呼び掛けで多数の出席を期待致します。大阪城周辺は随分変りました。我が天商の梅木を始め景観は一変しています。是非大勢で元気に集いましょう。
母校が3校統合にて、OBF高校となり既に5年が経過しました。約1400名の卒業生が社会に巣立ち、文部省からはグローバル時代の先端を行く優良高校として表彰を受けたとも聴き、その実情を窺がいたい気持ちも、OB・OG達にはあるのではと思われ、世話人会の目標にも通じる処あれば、今後の活動に留意したく考えます。
G20大阪サミットの開催や、大阪万博、大阪駅前再開発等々で、昨今大阪の話題は尽きませんが、種々の検討を世話人会でも出来ればと思料しています。
写真部白川氏に恒例の集合スナップを依頼、高5軍団下記写真をご覧下さい。
(後列)左から 木邑、山尾、片岡、野上、増本、沖本、石田、井澤、荘司
(前列) 〃 武田、高畠、大槻、安田、宮田、赤川(敬称略)
(増本 光男 記)
我々同期生329名は、太平洋戦後の混乱期、共学制実施直後の天商に入学、3年次には各自志望の専門教育を受けるべく、貿易・商店経営・自営コース・企業経営・進学課程等7クラスに分かれて、英国紳士然の雨森校長先生以下、高丘、京川、山本、肥田、冨士田、加納、玉田、中江、松下、乾先生等の諸先生から実践的商業教育を学び、戦後社会に巣立って以来早くも65年の歳月が流れた。当時貿易コースでは英文タイプライターマシンは、アンダーウッド社製1台のみで、仲間は紙製チャートで26文字を指で覚えたものだった。
課外活動は、吹奏楽部が全国1位だった。ドラム中尾誠助、サキソホーン芳村忠里、クラリネット土堤内清輝、フルート岩永貞夫、ユーホニアム城崎 実、トロンボーン井上和也・吉村録弥、ピッコロ細田欣哉、アルトサックス高月照仁、バリトン平本順一の楽士10名編成の豪華版は、山本保先生の熱烈指導の下、猛練習をこなし全国に「天商吹奏楽部」ありと勇名をはせ、輝かしい天商の伝統を残した当時のスターだった。文系では、勿論ソロバンが全国クラスで、私も小学生時代から近くの塾に通い腕を磨いたものだ。後日、先生から後をやるかと言われたが、判断力無く断ったことを覚えている。また、新聞部や速記部が全国的にも強く活躍していた。山尾 護、沖本敏治、長尾弘司の三羽烏が大奮闘していた。天商アスリートは、伝統的に陸上、相撲部、硬軟庭球部、籠球部などが強く、野球部は和田哲三、福本桂三が活躍していた。私の場合は、国民学校・新制中学の9年間、野球漬けで天商でも続けたかったが、グランド問題で諦めていた。5~6年前の夏、NHKが天商野球部のニュースを流したことがありました!記憶されていますか?また天商の先輩に、野球殿堂入りを果たした坪内道則という名選手がいられることを。ご存じ?実は、旧21回卒の大先輩、大阪の田村駒が経営していた金星スターズ(現中日)で大活躍され、牛若丸といわれた阪神の吉田監督、西鉄の鉄腕稲尾、巨人の王選手らと共に、平成4年殿堂入りされた大選手です。
先般、所用でOBF高校を訪ねた時、グランドゲージで汗だくになり打撃練習をするソフトボール女子を発見、近い日に後輩たちが、五輪やW杯で大活躍する日が必ずや来るのではと夢見る昨今です。
今秋の同窓会総会は拡大世話人会含みとして別途ご案内します。どうか多数のご参加をお願いいたします。
(左から)安田順平、片岡尚子、沖本敏治、石田 昇、藤原 謙、赤川好央、増本光男
(増本 光男 記)
平成28年度の天商同窓会総会が、昨年11月12日(土)正午から帝国ホテル大阪での開催となった。之に先駆け、同窓会顧問の総会実行委員長清水精一氏から熱心な勧誘があり、高5会として協力体制を各クラスに呼び掛けた上、10名の参加を得て臨時世話人会を設営した。
総会冒頭の講演会では、阪大名誉教授で大阪産業創造館館長の宮本又郎先生の講話「五代友厚と大阪の商業教育」を拝聴、母校の歴史源流とOBF高校新設の背景等を伺うことが出来有益であった。
懇親会のスタート早々、正面舞台を借用、写真係の白川氏(高30回)に恒例のスナップを依頼、高30回前田・山本OGに左右固めを願い、年寄り軍団の転倒防止に配慮戴き下記写真となった次第です。
77名が集結した喜寿総会以来早6年余、久々の総会を開催したいと各組代表の意見が一致、高五会として平成の内に同期会をもち、傘寿越えの健康談議に花を咲かせ、一層の長寿増進に役立てるべしと決議した。従い、世話役各位には現状実勢約160名の高五会現状名簿を再確認願い、多数の参加が得られるよう準備し世話人会に持ち寄ることにした。
(写真)左から
増本、赤川、大見、沖本、大槻、石田、安田、井澤、堀井、
同窓会本部 左・前田 右・山本
片岡(病欠)
(増本 光男 記)
平成23年3月、ホテルグランヴィアに77名が集い喜寿祝賀総会を盛大に開催、来賓諸先輩の祝福も受けて以来、5年の歳月が流れた。世話役各位も傘寿の壁を乗り切るのに苦戦する齢となり、隔年開催の同期会も遅れ気味となっている。
そんな状況の中、年一度の天商同窓会総会が「設立100周年記念総会」と銘打って、昨年10月末日・ロイヤルホテルで開かれ、高5会からは幹事会も兼ね10名の参加をみて久方ぶりに愁眉を開いた。商都大阪の恩人、五代友厚候の偉業がNHKで紹介され、朝ドラにも登場し、後輩現役生へのインタビューもTV報道されるなど、同窓生らに話題が拡がっていたのも幸いした。
動機付けをしてくれたのは、当番期実行委員・下大前氏の熱弁であった。総会前の
5月、田辺ccでのゴルフ同好会席上で、ロイヤルH「山楽の間」での総会を成功させたいので是非各位の協力を得たい旨、熱意が示されたのである。
早速、小林旭君が反応し、総会幹事を担当した13年前を想起し、この総会に集まろうではないかと幹事間で呼び掛けることになった。結果、下記10名が集まり回顧談義に花も咲き我々の活動にも話は及んだ。
18期各位とは、秋津原大会以降、同好会ゴルフを通して、三浦氏を始め互いの疎通が深化していたことが大いに寄与している。次回は具体案を持参で集まりたい。
(増本 光男 記)
存志会 高5会(回) 昭和28年卒
恩師冨士田惇一郎先生が、仮校舎から巣立つ若人40数名に、青雲の志を抱き社会に雄飛せよと激励・名付けられた「存志会」が発足し、満62年となる。
第一回の会合は、在阪の会員30数名が出席して梅田のルンビニ会館で開催した。
戦後20年、東京五輪も終わり経済も落着きをみせ、「存志会」は年1回の会合で旧交を温め貴重な情報交換の場として続いた。浪速の台所に精通する四ツ谷君、北住君らが会場選定など幹事役を務めた。鮎茶屋「不死王閣」での一泊宴席旅行では、冨士田先生も招き愉快で豪華な旅となった。特筆されるのは、先生が興に乗り予定を変更、翌日まで皆に付き合われたことだった。
海外展開を進めていた小林伸好君は、堀井靖司君らと世話役に参加、交流の場は続いた。高五会で「存志会」は変り者集団と言われ、進学組だった独特の雰囲気で、一匹狼が多く居た。芸達者の人気者玉井君は藤間流の踊りを披露、常に宴会部長として座持ちを先導し、皆を愉しませた。歯科医の玉田君は外車フォードを乗り回し小唄が得意で、楠原君の演歌「矢切の渡し」も懐かしい。会場は、「はり重」、千日前の「花和清」、「網元」などを良く使った。
戦後教育方針で、占領軍は男女共学が至上命令と示し、市立の天商などは相方の女子商業がなく苦労があった。結局、御津女子商業と合併したが当時の雨森校長や、高丘先生には種々のご苦心をお掛けした。G組をはじめ高五会は90%が男子で、当時青年男女間のトラブルは幸いゼロであった。
「存志会」は前回で納会としたが、常連の岡本慶雄、沖津、北住、荘司、玉井、
浜武一郎、四ツ谷、八重津、堀井、中村要、三上、八木、楠原らは、まだまだ元気で
傘寿総会での再会を心待ちにしている。
(楠原 良彦 記)
高五会ゴルフ愛好会納会
高5回 昭和28年卒
高五会は昭和28年3月卒業時、在籍7クラスで330名、内女子30名で圧倒的に男子が占め、東京在住者の東吾会や、B組会、3D会、F組会、G組の存志会など、早くからクラス単位の活動が活発でした。
太田郁雄、小林伸好、辻幸一君らの掛声で始まった高五ゴルフ会は、藤友恭平、
池田弘志、松田一彦、飯田博一、小生らがお世話役を引受け、年2回の恒例行事として長年続いてきました。常設会場、きさいちCCは春の桜が誠に見事でアクセスも良く大変好評でした。昨年12月17日(火)、宝塚CC旧コースで開催した、第30回納会コンペを最後に、定例会は一応の区切りとし、今後は有志会として随時の活動とすることに決まりました。
第30回の成績は、優勝大倉軍二、2位木邑喜男、3位池田弘志、BB 野上隆子、
ほか参加者は次の諸君でした。安田順平、奥野豊、小林旭、沖本敏治、藤原謙、
増本光男、赤川好央、荘司暉夫。
長年に亘る会員・世話人各位のご支援に対し厚く御礼を申し上げます。
(小林 旭 記)
高 五 会 (ゴルフ愛好グループ)
天商創立百周年記念式典が昨秋挙行され、引き続き各種行事が行われる慶祝の年、平成24年10月3日、我々高五会ゴルフ会は、好天に恵まれたホームコースのきさいちカントリークラブで第28回大会を開催、精鋭16名が参加し、18holeのアンダーハンデ戦を楽しんだ。結果は、紅一点牝馬の野上隆子氏が実力馬池田弘志氏を僅差で下し、初優勝を飾り、豪華賞品を獲得した。
愛称「タカコヒメ」は、表彰式で、世話役のインタービューに応え、初勝利の弁を次のように語った。「優勝するなんてとても考えなかったのでうれしい。今日は特にメンバーに恵まれたのが良かったし、最近プロについてレッスンの成果があったのかな…と思います。」さらにお聞きすると、「実は、75歳を超えて、スイング修正のため最寄の練習場で中川プロについて練習をしています。仲間からは最近アプローチが良くなったねと言われたりします。現役時代は陸上とバレーが専門でしたが、これからはゴルフを生涯スポーツとして楽しみたいと思っています。」最近のシニアの活躍に話を転じると、ホールインワンは栃木県と東北で過去2回達成しておられ、「90になって、エイジ・シュートが叶えば最高よね !(笑)」 と、大きな夢を語ってくれました。
優 勝 野上隆子 50/56 106 HD26 Net 80
準優勝 池田弘志 39/42 81 HD 0 Net 81
三 位 吉岡弘毅 44/47 91 HD10 Net 81
(増本光男 記)
本年5月20日、存志会(高5回3 G組同窓会
)なんば「網元別館」にて、沖津、北住、楠原、荘司、浜、堀井、八重津、八木の諸君8名の参集をもって、クラス会を開きました。
欠席者の近況を尋ねましたところ、体調不良・糖尿治療・腰痛治療・先約あり・音信不通など様々な内容でした。
「傘寿」には何人の旧友が顔を合わせられるか心配しております。かっては、玉田君(故人)の「小唄の一節」に、玉井君の「お座敷芸の一席」も思い出されます。
次回には、「即興の芸」を披露していただける有志がおられるものと期待していますが、いかがでしょうか。
参会するたびに、「元気であることの喜び」を持ち帰って欲しいものです。
皆さんに再会できることを楽しみにしております。
写真右から(楠原撮影)
沖津、八重津、浜、荘司、堀井、八木、北住
(楠原 良彦 記)
高五会喜寿祝賀総会
高5回
昭和28年卒
本年3月2日、グランヴィアホテル大阪にて、喜寿祝賀総会を開催、同窓会本部から来賓として、福山・寺坂の両副会長、根津、大井、岩城、倉岡氏の各理事に加え学校長、木口誠一氏のご臨席を賜り、77名が参加する大盛会となりました。
総会は、石田昇君の開会宣言、玉井君の司会で始まり往時の生徒会会長山尾君が挨拶をしました。折から天商も世界に通用するビジネスマン輩出のため3校統合がスタート、その間の進捗状況及び今後の方針につき、木口校長から祝辞とともに縷々説明を拝聴することが出来ました。
福山氏の来賓挨拶に続き、植西君による乾杯のあと、ホテル宴会部高51期天商後輩、御影さんから木口校長に花束の贈呈があり、校長も大いにご満悦の様子で、和やかな懇親会に移りました。また元高五会世話役故日野君夫人の京子さんが木邑君の誘いで駆けつけ総会に華を添えて頂きました。旭日双光章授章の宮田貴代君の偉功でホテルから特大のお祝いケーキの差入もあり、高齢の美女軍団に好評を得ました。
このあと、大見君が得意の詩吟「喜寿を賀す」を朗唱、会は青春時代の想い出に花が咲くのでした。100周年式典委員長寺坂氏の指揮で、東西万里を全員で斉唱「傘寿の会でまた会おうぜ!」と肩を叩きながら口々に再会を誓い、集合写真のあと散会しました。
(増本 光男 記)
H22 3Bクラス会
日野光雄君が急性心不全で倒れ、急逝されてから早くも9年の歳月が流れた。高五会の幹事として、石田昇君らとともに高五会世話役の中心であった。彼は日立製作所・西部ソフトウエアに勤務の頃から会社の同僚やクラスの仲間とも付き合いが多く面倒見が良かった。山登りや小旅行なども好きで良く仲間を誘ってはグループ旅行を楽しんでいた。
定年後は、介護施設のボランティア活動などにも多く時間を割いていた。現在ならAEDの普及で一命は取り留めたかも知れないが、別段の持病もなく突然のことで暫し呆然としていた日野君夫人を慰めようと、奈良ホテルにB組の有志が集まり慰労会を持った。
以後、世話になったクラスの連中が中心となり、日野君を偲ぶ会を続けようと申し合わせ、年1度の小旅行を続けている。これまでの行き先は近郊のジャンボ倶楽部で、有馬、京都、白浜、三方五湖、奈良、城崎温泉、淡路島など。メンバーは浅野幹冶、伊藤昭生、木邑嘉男、中塚芳治、樋口謙三、中山進、山内俊次、和田哲三の諸君が中心となっている。
写真は昨年京都ジャンボ倶楽部で撮影したもの。一番右で 元気だった浅野君が残念ながら今年3月亡くなられた。ご冥福を祈る。
写真左から
伊藤、中塚、和田、木邑、中山、浅野
(木邑 嘉男 記)
H21
高五会が年2回のゴルフコンペを開催しているのは、生駒山系に広がる丘陵コースで、大阪市内はもとより、奈良・京都からも交通至便なチャンピオンコース、きさいちカントリークラブである。第21回となる今回は、4月9日(木)天候に恵まれ、時にサクラ満開の、絶好のコンディションのもと、5組20人がお花見コゴルフをエンジョイした。成績は久々に参加の高月照仁君が、Net71で初優勝、2位は奥野豊君 Net74、3位は藤友恭平君 Net75であった。本会は発足当初、80名を超える参加があったが、加齢と共に体調不良で脱落者が増え、最近は20名前後に減ってはいるが、何れも後期高齢者と感じさせない元気なショットを見せている。次回は、平成21年10月6日(火)の予定で、メンバーの飯田博一君に、クラブとの折衝をお願いしている。
(小林 旭 記)
H19
高五会の関東地区同期会である「東吾会」は、結成30周年記念総会を、本年4月3日に
熱海温泉『ホテル池田』に於いて12名が参加し開催しました。
会場は、田中博道君のお世話とあってホテルの温かい持て成しがあり、沖合いに初島を眺めながらの温泉で同期の桜と語り合う貴重なひと時を満喫しました。大阪からは松田、沖本、片岡尚子、布谷君が馳せ参じ、東西の近況交流も盛んに行われました。
「天商東吾会」は、当時在京中の新進気鋭弁護士、布谷武治郎君の音頭で、昭和53年3月3日、銀座「三笠会館」で産声を挙げ、翌年名称を『天商健児、東に吾あり』と意気軒昂の精神と吾⑤を合わせて命名されました。
振り返ってみれば、東西万里の精神をバックボーンとして、共に社会人となり、国内外で活躍された諸先輩の後を追い、しゃにむに働いた時代、日本の戦後経済成長路線を我々が支えてきたと言うささやかな自負心の根底には、この同期生の横のつながりが、心の支えになっていたと思います。
本会も、発足30年を迎えその間一度も欠かさず毎年の例会を継続することが出来たのも偏に沖本君を始め諸兄姉から頂戴した熱いご協力の賜物であり、茲に改めて幹事として心より感謝を申し上げます。
物故者 瀬森賢二、森川真喜雄両君のご冥福をお祈り致します。合掌
(近藤寿美男 記)
写真左から
前列C近藤寿美男、B片岡尚子、C野上隆子
C布谷武治郎、C渡辺美智子G堺 靖祐
後列C山田日出雄、A松田一彦、A川中哲男
C田中博道、 D酒井俊二、A沖本敏治
H18
高五会はゴルフが唯一の旧交を温める機会になっている。昨年7月には鹿児島へ遠征、霧島ロイヤルホテルに宿泊、一泊2プレイを愉しんだ。ただし当日は台風の影響もあって数ホール豪雨に見舞われたが名門コースだけに参加者は満足。昨年からのコンペ実績は下記の通りである。
H17.7.6高千穂C.C、同7.7ゴールデンパームC.C>優勝池田弘志(参加20名)。同10.6きさいちC.C>優勝新田英夫(参加28名)。H18.4.6きさいちC.C>優勝藤原謙(参加25名)。又、天商ゴルフ同好会では今年から大先輩、伊藤俊蔵前会長の後任として、同期の増本光男君が就任、これをバックアップする意味で今年6月6日は関西GCコンペにも高五会から17名が参加、会を盛り上げている。70才を超えて健康で自然を満喫出来る事は同慶の至りである。宴席の機会がなくて淋しい面もあるが春秋2回開催している高5会ゴルフコンペに初めての方も是非参加を、お待ちしております。
(小林 旭 記)
高五会ゴルフ同好会
4月7日(木)きさいちカントリークラブに於いて第13回天商高五会ゴルフコンペを開催。今回は東京から嶋田寛治、野上(旧姓内本)隆子両氏の参加もあって総勢31名が腕を競った。朝のスタート時小雨だったが、午後は晴天で気温も上り、桜の花も3分咲きから一挙に8分咲きに景観も変わって陽春のゴルフを楽しんだ。優勝はなんと月水金に透析をうけながらも、毎回出席の山本順一郎君が初優勝。(G.104 H.D27. Net.77)準優勝はシングルプレーヤー池田弘志君が83のベスグロで入賞はさすが。
平成11年4月に太田郁雄、辻 幸一両君らの呼びかけで発足し、毎年春秋(4月10月)に近場のきさいちC.Cをホームコースとして8組前後の参加者が定着。全員古希を迎えて利用税も免除となり健康のため又、卒業後50年を経た学友と旧交を温め1日楽しめる場となっている。7月はJTB
OBの藤友恭平君の世話で、九州遠征ゴルフ会も企画しており、未参加の諸兄も奮って参加される様に願っている。
(小林 旭 記)
高五会古希祝賀総会
天商時代を仮校舎で学び、巣立った我々も本年は順次古希を迎える齢となり、3月9目大阪駅のグランビアホテルで総勢80名が参加し記念総会を開催。当選直後の関淳一大阪市長や同窓会東京支部長南條氏から祝電も戴き華やかに開会、東京・名古屋から嶋田寛治君をはじめ、野上、渡邊、富井、片岡、清水、道畑君ら往年の美女軍団も彩りを添えてくれる。
石田昇君の開会宣言、山尾君の挨拶についで、来賓の大先輩ゴルフ同好会会長伊藤俊蔵氏からは貴重な「長寿訓話」を拝聴、乾杯の後、各テーブルでは久方ぶりの歓談に花が咲き壇上では盛り沢山の景品でビンゴゲームを楽しみ、和やかな雰囲気の内に会は進んだ。
同ホテル勤務天商後輩の御影さんから、各組元組長に記念品が贈られ清水哲一君が代表して花束を受け取った。全員で東西万里を音楽部OB(井上、芳村、高月、細田君)の指揮で大合唱、80名の集合写真撮影では、倉岡君(高42回)にごお世話をかけ9時過ぎ、次回の再会を約して散会した。
増本光男記