昨年10月15日(水)に冨丘会の親睦会を開催した。
一昨年の例会で冨丘会の活動に区切りをつけた後だけに、出席者数が気になったが、有難いことに例年とさほど変わらず、ほっとした。
懇親会は例年通り陽気なおしゃべりの場となった。天商時代の思い出や今の生活状況、自分の体調や家族のことなど、話題に事欠かない様子。そうした皆さんの話を聞いてふと感じた。
人間歳を取るにつれ、ややもすれば内にこもりがちになるものだが、こうした会合に顔を出す人達はおしなべて陽気である。外向きのこと何かにつけ関心を示す。そして、そのことを喜び、悲しみ、憤る気力をいまだ失っていない。
「皆さん、どうかいつまでもその調子を失わないで下さいよ。」と、心から祈る気持ちにならざるを得ない。
写真左より
後列:森 藤田 伊藤 藤井詰める下村 笠原 多賀
前列:中井 河村 湯城 村井 出村
(幹事 中井・河村 記)
平成25年10月23日(木)に例会を開催した。参加者16名。出席者数はここ数年変わらないが、昨年中に亡くなった友人の数が例年になく多く、私達は皆えもいえぬ寂しさを覚えた。
懇親会が始まると、例年同様学校時代の悪戯話や失敗談、まるで人ごとのように茶化して語る病気の話など、陽気なおしゃべりの場となった。その会話には若い頃の気負いはなく、お互いに淡々と楽しく語り合う和やかな雰囲気の集まりであった。天商同窓会は今後も存続するが、私達の冨丘会の活動は、出席者一同の了解を得て、今回で区切りをつけることにした。これまで冨丘会の運営に協力して頂いた同級生の諸君に深く感謝の意を表します。
なお、今後は同級生有志の懇親会の形で会合を催します。ぜひ、参加して頂きたいと心から願っています。
写真左から(早退者 笠原)
後列:出村 岸本 中井 下村 河村 濱田 伊藤 藤井 葛城 森
前列:粂 村井 湯城 富江 木村
(当番幹事 中井・河村 記)
昨年度は例会を2回開催した。(4月25日
および11月8日)
春の会合は、もともと京都や大和地方観光、時には宴席を設けて会合するなど、不定期なものであった。そのためか、4月の例会出席者はいつになく少なかったが、秋の例会には久しぶりに顔を出された人もあり、それだけに一層賑やかな団欒の場となった。
皆さんの話題の中心はいつものとおり、天商在学当時の子供っぽい冒険話や悪戯話、皆が思い出した途端に爆笑を誘う失敗談などでお互いに冷やかしたり、からかったりで、笑いが絶えなかった。
時にはそれぞれが抱えている病気のことが話題になるが、そのことすらも笑いのネタにしてしまうほど皆さん達観していて、爽やかな雰囲気に終始した集まりであった。
会合の世話をした私達は、皆さんが飲まれた酒の量がこれまでになく少ないことに気づいたが、これはやはり年のせいであろうか。
写真(11月8日)左から
後列 森 濱田 平野 桂 出村
中列 岸本 笠原 黒台 伊藤 藤田 藤井
前列 中井 河村 湯城 粂 冨江
(当番幹事 中井・河村記)
昨年11月8日に23年度例会開催。そして今年は、年度が替わるや早々、4月25日に本年度の例会を催した。
始めに物故者のご冥福をお祈りした後、懇親会が始まると、いつものように各テーブルそれぞれが笑いの絶えない楽しい団欒の場となる。当然のことだが、百年の歴史の幕を閉じた母校への思いや、同窓会、ことに我々の冨丘会の今後のあり方が話題になった。
出席者数が前回より下回ったのは開催時期変更のせいか。欠席者の近況報告欄を見て感じたことは、皆お互いに年を取ったのだなあという思い。それと、元気な人と体調不良の人達との大きな落差である。私達の年齢になれば、どんなグループの人達でも同じようなものだろうか。
今年度現在までにご遺族より報告があった 物故者は今村氏、近藤氏、中尾氏の3名です。
写真左より
後列 中井 岸本 下村 笠原 伊藤 藤田
前列 村井 多賀 湯城 河村 藤井
(当番幹事 中井・河村 記)
昨年11月6日に22年度例会を開催した。出
席者は各テーブルで、自分の近況を酒の肴に楽しく話し合っていた。中には、あちこち悪いと体調不良を自慢げに話す人もおり、私もよくするので、聞いていて可笑しかった。
でも笑ってばかりもおれない。去年の例会で愉快に話し込んでいた的場君がこの3月に亡くなった。ご家族の方からの報告を聞きながら、無性に寂しくなった。謹んで的場君のご冥福をお祈り致します。
寂しいといえば、来年3月母校天商が百年の歴史の幕を閉じる。「大阪ビジネスフロンティア高等学校」という名称で新たにスタートするのであるが、我らが天商もこれでおしまいか、という得も言われぬ寂しさが頭をよぎるのは私だけでしょうか。
写真左より
後列 黒台 藤田 出村 森 中井 河村
下村 濱田
中列 笠原 吉田 藤井 久野 伊藤 村井
梅澤
前列 平野 冨江 湯城 中尾 粂 的場
(当番幹事 中井・河村記)
昨年10月17日に21年度例会を、今年6月16日、春の会合を遅まきながら催した。
昨年度の会報で、出席者の顔ぶれが変わらなくなったのが淋しく感じられると、印象を述べたことを覚えておられるだろうか。
6月の会合の出席予定者2名が不調で急遽取消。欠席者の近況報告でも体調不調の報告が少なくないのが大いに気になる。
だが幸いなことに、出席者は少なくとも外見上は元気一杯。若い頃と違って騒ぎはしないが、以外と酒に強い人が多く、デザートの段階でまだ追加注文する人さえいるのには些か驚いた。結構皆気張っているのかな、というのが今年の印象だった。皆さん、くれぐれもご自愛の程心から祈っております。
(写真左より)
後列 中井 今村 森 平野
中列 岸本 河村 湯城 村井 藤井 黒台 濱田 梅澤
前列 笠原 藤田 粂 中尾 久野 伊藤
(当番幹事 中井・河村 記)
昨年10月26日に20年度の例会を開いた。最近出席者の顔ぶれはほぼ変わらなくなったが、これが結構なことのようで、何か淋しく感じるのは私だけのことだろうか。
そのとき出された要望に沿って、今年4月21日、久しぶりの会合を宝塚で催した。残念ながら当日の天候は雨。それでも秋の例会とほぼ同じ顔ぶれが集まり、賑やかな団欒の一時を過ごした。
この日も、例会には何時も顔を出す人で、最近まで山歩きなど元気に動き回っていたのが腰を痛めて出て来られなくなった。こんな話を聞くと、自分の体調の微妙な変化が今更ながら気になってくる。皆さんは如何ですか。
(写真左より)
後列 葛城 森 平野 笠原
中列 中井 久野 藤井 出村 村井 伊藤 藤田 岸本
前列 木村 河村 湯城 中尾 冨江
(当番幹事 中井・河村 記)
2008
昨年10月7日に催した19年度例会の報告原稿を書こうとして、当日の様子を思い浮かべるうちに、ある新聞記事が気になりだした。
歌手と漫画家の著作権に関わる訴訟の記事で、争点は「夢は時間を裏切らない」という
歌詞。『あきらめずに時間をかければ、夢はきっとかなう』というメッセージを込めての作詞と歌手は主張するが、果たして判決は?
ところで、その「夢は…」の歌詞だが、私達の生き様と大いに関わりがある。人生残り少ない私達は、何時しか口癖のように、この年で今更夢など…と言うようになっている。
だが、この年だからこそ夢を追う必要があるのではないだろうか。園芸・俳句・書画・ゴルフ、何でもよい。目標を定め、その実現を夢見て時間をかけて努力する。それが生きる意欲に繋がると思うのだが。
例会出席者の楽しげな様子。皆それぞれに夢を追って生きているのだと実感させられた。 写真左より
後列 梅沢 濱田 伊藤 笠原 藤井
的場 藤田 中尾 近藤 筒井
中列 冨江 村井 河村 出村 中井
前列 粂 久野 湯城 今村
(当番幹事 中井・河村 記)
2007
昨年11月5日午後1時より、18年度の例会を千日前「鳥よし本店」で開催した。
出席者の顔ぶれは前回とほぼ同じだが、中には久し振りという人もいる一方で、入院や体調不良で顔を見せない会員も少しずつ増えているのは寂しい限りである。
それぞれのグループで顔を合わせる機会は多いだろうが、この日のように大勢が集まることは年に一度のことである。お互いに懐かしく思うのか、随分談笑に花が咲いていた。
おもしろおかしく周囲を爆笑させる陽気な人もおれば、それを見て脇で静かに楽しむ人もいる。その雰囲気は天商生の頃のままである。まこと人は変わらぬものだと、見ていて懐かしくもあり、微笑ましくもあった。
昨年と同様のコメントになるが、こうして元気で出掛けて来られるのは有り難いことである。そのことをしみじみと噛み締める一時を過ごし、3時過ぎに再会を約して解散した。
写真左より
後列 濱田 黒台 出村 森 伊藤 藤井
的場 河村 村井 木村
前列 笠原 粂 三浦 湯城 中尾 今村
筒井 久野 中井
(当番幹事 中井・河村 記)
2006
例年春秋2回例会を催していたが、1泊2日の春季例会の参加者数が減ってきたので、昨年度をもって取り止めることになった。
秋の例会は従来通りで、11月6日午後1時より千日前『鳥よし』で開催した。出席者は22名.ここ数年ほぼ決まったような顔ぶれであるが、中には数年振りという人もいた。
会が始まるや一気に気勢が上がり、ボケとツッコミの見事な会話で周囲を爆笑に誘う人たちもいて、賑やかな雰囲気に終始する楽しい会合であった。
そうした会話にも、病床に臥す友人の近況や思わぬ訃報を聞かされ、おのれの年をあらためて思い知ると共に、こうして元気に出掛けて来れることの有り難さをあらためて噛み締める一時でもあった。
最後に校歌を斉唱し、写真を撮影した後、3時過ぎに再会を約して解散した。
写真左より
後列 中井、伊藤、今村、筒井、村井、平野
藤田、笠原、吉田、黒台
中列 中尾、多賀、藤井、石田、湯城、久野
前列 河村、出村、大出、広瀬、三浦、高谷
(当番幹事 中井・河村 記)
2005
4月27・28日に本年度春の例会を有馬簡易保険保養センターにおいて1泊の形で催した。参加者は12名。27日午後4時頃、現地保養センターに集合。早速有馬の湯で体の疲れを癒した後、夜の宴会場に集まった。昨年同様参加者は小人数であったが、一同久しぶりに酒を酌み交わし語り合った。自分や友人の近況報告をネタにした愉快な話に花が咲き、楽しく賑やかな一時であった。最後に例年通り校歌斉唱、記念写真を撮ってお開きとした。
28日朝9時過ぎ現地解散。一同帰途についたが,久しぶりに神戸へ出る人たちもいた。
参加者の中には湯城・出村両氏のように徒歩で六甲越えをして来た健脚家がいて皆を唖然とさせた。後日二人は六甲山頂から宝塚まで縦走したというから、その健脚振りは羨ましい限りである。
(写真)
前列左より村井、石田、湯城、久野
二列目〃 出村、伊藤、三浦、今村、笠原
後列 〃 河村、中尾、中井
(当番幹事中井、河村 記)
2004
4月8・9目大阪南部の犬鳴山温泉グランド・ホテル紀泉閣で本年度春の行事を催した。
参加者は例年よりは少なく十五名。
8日一昼食後、南海電車で貝塚を経て水間へ。孝恩寺釘無堂(国宝)・水間寺を観光後ホテルに向かう。晩の宴会では、小人数ながら楽しい酒を酌み交わし、互いに意気投合し話が弾んだ。宴会後半はカラオケで大いに盛り上がる。最後に校歌を合唱し、和気藷々のうちにお開きとなった。
9日一参加者一同帰途に就いたが,途中慈眼院・日根神杜・大井関公園に立ち寄る。
朝日に映える慈眼院の多宝塔・本堂(共に国宝)の美しい姿を堪能し、やや遅まきながら公園の桜が風に散る風情を十二分に味わった後、秋の例会での再会を約して解散した。
出席者15名(写真前列左より最後列右端へ)
木村、湯城、石田、○、出村、○
伊藤、今村、笠原、中井、河村
○、葛城、三浦、吉田、村井、筒井、楠
(○印は客室係)
(当番幹事中井、河村記)
2003
日時平成15年4月2日~3日
春の例会を奈良市西郊 奈良パークホテルにおいて開催。午後6時より廣瀬会長、湯城幹事長より近況報告あり。物故諸氏への黙祷、続いて梅澤 保君の乾杯で宴会に入る。学窓を出てから既に60年近く、出席各位皆々元気ながら70歳台中盤に差し掛かり、おのずと健康談義に熱が入った。最後に「東西万里往かんかな」を合唱し大盛会裡にお開きになる。
翌朝は雲ひとつない快晴、マイクロバスで桜まつり開催中の大和郡山城に向う。7分咲きの桜が青空に映え、お花見を満喫、昼食は市内のレストランで多少は酒も出てミニ宴会となり大いに盛り上がった。来年の一泊旅行での再会を約し散会した。なお今年の秋の例会はミナミの「鳥よし」ご期待を乞う。
写真は「前列」左より
久野昭五郎、梅澤 保、吉田大作、今村佐吉、中井健司、湯城靖夫、河村昭夫
「後列」廣瀬哲男、笠原昭治、出村隆一、下村 宏、大出重孝、村井幸雄、石田忠男、近藤久男、三浦誠吾、楠 二郎(17名)
当番幹事 河村、久野 記
2002
日 時
出席者 21名
春の例会を河内長野市 天見温泉 南天苑に於いて夕6時。廣瀬会長、湯城幹事長より近況報告を受け、物故諸氏への黙祷、続いて酒井唯男君の乾杯で宴会に入る。入学以来60年、戦争、学徒動員、空襲、終戦、就職難と、様々の経験を語り合う。女将自らのお酌、若い女性従業員挙げてのサービス、全員大満足の様子、程よい酔い心地で カラオケを歌う者、俄か仕立ての小道具で踊り出す者あり、大盛会のうちに小雨降る春の夜は更けて行った。翌朝は雲一つない晴天に恵まれ朝食後解散。希望者のみ 12名は観心寺参詣、山は新緑に溢れ鶯の声が浸み渡り躑躅牡丹の花は満開だった。後村上天皇陵の急坂には些か参ったが、楽しい思い出にもなった。昼食後更に5名は楠妣庵(ナンピアン楠公夫人の墓と遺蹟)を訪れ、一味違う一泊同窓会であった。
なお、13年11月28日 南海飯店に於て、秋の例会は31名の参加で賑々しく催しました。
(前列より)的場、伊藤欽、三浦、吉田、大出、廣瀬、湯城、今村、(中列)藤井康、河村、高谷、村井幸、石田忠男、(後列)楠、中井健、濱田、酒井唯、出村、筒井、下村、笠原
(吉田大作 今村佐吉 記)