2008
高丘先生から名づけて頂いた松寿会ですが50余年を経てついに終りが近づきました。
映画ならジ・エンドでありフインであり、その昔洋画の上映館であった大阪の松竹座のスクリーンを思い浮かべます。
今年も例会を開催する予定でしたが、身体の不調を訴えられる方も多く、開催に到りませんでした。
今回ご案内を差し上げたところ、辻芳雄君衣川政次君が他界されており、箕輪君、中村君が行先不明です。
回想すれば二度の東西合同旅行、三度の小浜行、そして太融寺の慰霊祭等多くの思い出を残し茲に一応幕を引く事になりました。
今後再開出来るか未定ですがご報告します。
(土橋 嘉昭 記)
2007
平成19年の松寿会例会は6月8日例年の通り天王寺茶臼山の阪口楼にて開催。出席者は岡本(恵)、福田、上田、土橋の4名でした。
回想すれば昭和10年に卒業した同級生は、165名で今回の出席は4名とは実に1/40と云う事である。
今年も杉浦忠一君、田中康雄君が他界された。殊に杉浦君は皆出席を続けて居られたので阪口楼の女将も「あの絵の上手な方が」と惜しんで居られた。
上田君より天商校歌の第二校歌に移行した話等、興味深く拝聴した。そしてテープで校歌・応援歌を聞いて感一入であった。
来年は6月13日、阪口楼で開催の予定である。
写真左より、岡本、土橋、上田、福田、
(土橋 嘉昭 記)
2006
平成18年の松寿会例会は6月9日阪口楼にて開催。参加者は岡本(恵)、福田、土橋の3名のみ、淋しい限りであった。料理に酒にと時を過ごしたが、例年通り校歌、応援歌を合唱して若き日をしのんだ。
昔の思い出話として岡本君が、阪急百貨店8階の30銭ランチは本当にうまかった、試合の後の楽しみであったと。又土橋も同感にて会社帰りに阪急の30銭ランチを食べ、地下鉄で心斎橋迄15銭、松竹座の洋画が50銭、帰りの市電が6銭で楽しかった。
ロバート・テイラー、ウィリアム・ポーエル、ジーン・アーサー、そしてゲーリー・クーパー、昔の洋画は何処か品がある。
今年も、西田良雄、岡本彰雄の両君が他界された。ご冥福をお祈りする。
松寿会の行く末も案ぜられる状態となりましたので、今後の運営につきご意見を承りたく、次回は最終の会合になるやも知れず、各位のご出席をお待ち致します。
開催日、場所は来春ご案内します。
この度、高齢者叙勲により土橋は『瑞宝双光章』を受章しました。
(土橋 嘉昭 記)
2005
平成17年の松寿会は例年通り天王寺の阪口楼で開催。出席者は去年と同じ6名であった。今年は常連の松浦君を欠いたが、久し振りに清水君が出席され、戦時中武田薬品よりジャワに派遣された苦労話を語られた。又毎日放送で経済解説の宮川敦雄君、安宅産業で苦労された菅原正澄君、剣道部の粟田茂樹君、及び安部慶二君、山本日出雄君、小林淳二君が他界された。ご冥福をお祈りする。阪口楼の女将の話では先日佐藤正巳君の一周忌の法要が思い出の当楼で営まれた由である。そして例年通り校歌、応援歌を合唱して昭和の初めの気分に浸った。先般NHKのテレビで涙の渡り鳥が放映されていたが「雨の日も風の日も泣いて暮らす、私や浮世の渡り鳥、泣くのじゃないよ、泣くのじゃないよ、泣けば翼もままならぬ」小林千代子の歌と共に昭和7年頃を思い出すのである。今回の開催案内で各位よりお返事を頂いたが、岐阜の中村得之助君の悠々自適の報もあれば、身体の故障で欠席の方も多かったが来年も6月9日(金)阪口楼で開催の予定。
写真は岡本(恵)を煩したが前列右より清水・土橋・岡本(恵)・後列福田・島・辻(芳)
(土橋嘉昭 記)
2004
本年の例会は6月11日例年通り天王寺茶臼山の坂口楼で開催。追々と会員の老齢化が進み本年の出席者は6名で少し淋しく感じた。
今迄の松寿会の例会を振返って、3度の小浜行・東西合同3回・岐阜長良川等の思い出の写真を見て楽しかった往時を追想した。然し写真の中に物故者も多く寂寥の感、一汐であった。
同窓会より送られたCDの校歌・応援歌の録音したテープを流し合唱した。又その後で往時のナツメロを聞いたが、確か東西合同の折、樋口君がナツメロのテープを聞かしてくれたと記憶するが、今回流した歌曲は・天国に結ぶ恋・涙の渡り鳥・十九の春・国境の町・緑の地平線、で若き頃を思い出して口ずさんでください。写真は岡本君を煩した。
写真 前列 左から 杉浦 土橋 島
写真 後列 左から 辻(芳) 福田 岡本
尚 来年も17年6月10日(金)・坂口楼の予定です。
土橋 嘉昭記
2003
昔恋しい銀座の柳 仇な年増を誰が知ろ
ジャズで踊って リキュールで更けて
明けりゃ ダンサーの涙雨
なぜか忘れぬ 人故に 涙かくして 踊る夜は
ぬれし瞳に すすり泣く リラの花さえ なつかしや
昭和5年と10年の流行歌を揚げたが、我々松寿会の者はその間天商に在学して居た。
今年も又6月13日坂口楼に集ったが、残念ながら常連の小浜・増田(邦)両君は逝去されたが、久し振りに箕輪君が顔を出され昔話に花を咲かせた。例年通り校歌応援歌を合唱して来年の再会を誓った。振返ると昭和5年~10年は苦しい時代のはずだったのが思い出は楽しかった事に変りその当時の流行歌でも口ずさむと気分だけは青年にかえるのだ。
11月に岡本君が日帰りの京都行を計画して頂いており、共に京の秋を楽しもうではありませんか。
当日の参加者写真前列右より 上田・伊藤・栗田・川崎・岡本
後列 島・杉浦・土橋・辻(芳)・箕輪
例年の事ながら掲額は杉浦君を写真は岡本君を煩した。来年の6月11日(金)の予定です。
土橋嘉昭記
2002
昔日紅顔今古老 六十余年如夢流
偲往時催松寿会 茶臼山辺阪口楼
杉浦翠堂作の話の如く平成14年の例会は6月14日阪口楼で開催。庭上の菖蒲も花散り、又当日はワールドカップ長居戦の為、電車も混雑したが、12名が元気に顔を揃え異口同音に、こうして会に出席出来たのは幸であると。
往事を偲び旧友を語り楽しく歓談・校歌・応援歌を合唱したが、上田敏一君曰く旦て、在校生に九宵高くの応援歌を平がなで書き、漢字に記載させた処、漢字の内1割位しか書けなかった由である。
写真は岡本君を、掲額は杉浦君を煩した。
(写真前列右より)福田・上田・粟田・佐藤・土橋(後列)小浜・増田・小林・伊藤・杉浦・辻(芳)・岡本(恵)である。
来年は平成15年6月13日、阪口楼の予定。
今年度も、出口・三栖・中川(一)・橋本(英)君逝去、現在通信可能は36名である。
福田二郎君詠ずる一首
在りし友語りに出でて一瞬に聲りたり思い重くして
(土橋 嘉昭 記)