2005
生きることは、むずかしいものですね。昭和7年卒業した者165名、逝去した者83名、
梅香会、創設後の物故者65名。90歳を過ぎて約1割の生存者17名、敬意をもって列記してみよう。
赤堀文衛・荒木幹二・飯田貞二・石出存・板倉邦三郎・小澤宗・大山峯三郎・鍵田英夫
北村誠一郎・久米井潤一・小林治祐・辻本太郎・中村清秀・濱村嘉造・古谷博道・前田信夫・吉岡由己夫以上17名。
この内健全なる者もいるが、筆者は数年前、 路上にて転倒し救急車のやっかいになり、入退院を繰り返している。ここで、平成10年度の『梅香会』の記録をふりかえってみよう。
寺僧の言葉「人生は水の如く 淀みなくサラサラ流れたい どんなに良いことがあってもどんなに悪いことがあっても 後ろを振り向かずに 前へ前ヘ サラサラ流れたい 左右の岸にどんなに美しい花が咲いていても どんなに楽しく小鳥が鳴いていても その美しさを愛でながら その楽しさを喜びながら 足踏みせずに流れよう それが生きているということだろう 田畑を潤し 草木を養い魚を育てながら そして高きを望まず 低い方へ低い方へ 水の流れる如く 私も流れたい」
(鍵田英夫 記)
2004
今年の梅香会は6月1日天商会館にて行う。出席者3名(岡崎、辻本、鍵田)
健康を害している者、出席出来ない者が多い。数年ぶりに天商会館に来てみたが、あたかも森の中の建物と思われる程、緑の中にあるので驚いた。事務局の岩城さんの誘導により会館の中に入る。天商校歌等のあるCDを聞きながら、岩城さんが用意してくれた寿司弁当と冷えたビールで昼食を食べ、有難いと感謝する。出席者は3名でも「おもいで集」に署名。欠席者の返信ハガキを回覧する。和田栄三君が5月5日に、中島重治君が2月12日に逝去せられ、両君の冥福を祈る。昨年11月に植樹の事で色々お世話になった寺坂さんが顔を見せられたので、厚くお礼を述べ親しく話を交わす。会館の庭園をはじめ周辺の緑化の作業をされていることを聞き、私は考えた。会館の周辺を更に緑化を図り、句会やお茶会を立派に出来る会館として役立つ様出来ないものかと夢の様な構想を。最後にお互い出席出来た事を喜び合い「東西万里征かんかな」を元気に歌って解散。
2003
日 時 平成15年5月20日(火) 午前11時
場 所 有恒倶楽部 別室(船場)
出席者 岡崎、辻本、浜村、古谷、鍵田
吉岡君は急に入院の為欠席。4月中旬に送った総会案内には「人生百才━百才を目標に生きよう━」と書いて送ったが、返信ハガキを見て感じたことは、大部分の者が健康の不調を訴え、百才には到底無理だとの論。叉、創立90周年記念のCD(校歌・逍遥歌・応援歌等)を約20名の会員全員に送ったが、聴くためのCDデッキを持っていない者が多く、案外無関心。何とか聴く機会を得て長く保存して下さい。今秋、天商会館運営委員会のお世話にて、天商会館の庭に植樹を行う予定です。百才を目標に「1年生の樹」を植えて長寿を祈りましょう。
鍵田 英夫 記
2001
昨年の梅香会は6月6日大阪船場の有恒クラブ7階別室にて行う。出席者6名下の通り(小沢、岡崎、辻本、浜村、古谷、吉岡)
鍵田が激しい腰痛のため欠席したので、古谷君が代行司会。返信ハガキを回覧、おもいで集に各人一言宛書いて署名。野村・羽間両君の如く数年に及ぶ療養施設に日を送って居る者、大浜君の如く横浜の住居より山形の山間地、良い環境地に移住したのに病を得て療養生活を送る者、自宅療養生活を送る者等多数の者が健康を害して居る状態。米寿は人生の大きな坂道かもしれない。出席者は比較的元気な方。岡崎君の如き病を押して出席、しゃべりまくる者は例外かもしれない。会食、ビールがあると一層話がはずむ。梅香会はよいなぁ、いつまでも続いてほしいなァ。
古谷君の音頭で各人の健康を祈って散会。
(鍵田 英夫 記)