森本 雅巳(高25回)
「東の渋沢、西の五代」と称せられた明治期の実業家、五代友厚(1836〜85年)の汚名が一部晴らされました。市大同窓会(有恒会)が中心となり、各教科書出版社あてにA新事実の報告そして、文科省あてに教科書記述修正の要望書を提出し、令和5年度の高校教科書から記述訂正される事となりました。
歴史教科書では「B開拓使の廃止を前に、長官の黒田清隆が同じ薩摩出身の政商五代友厚に、C約2000万円を投じた事業を38万円という不当に安い価格で払い下げようとして問題になった」(清水書院)などと記されてきました。
根拠は明治14年7月26日の 「D東京横浜毎日新聞」社説の誤報を元にし、なおかつ歴史学会の通説もこの社説を根拠としている。近年の研究で、五代は採算面から黒田の要請を断った。黒田が明治政府に出した文書に払下げ先は開拓使管理官吏が退職して設立しようとした会社(北海社)で五代の名前はないなど、「濡れ衣」だった可能性が高まり、今春から複数の教科書会社が記述を修正しました。
教科書修正を可能にした有恒会の皆様のご尽力に敬意を表します。そして各期幹事の皆様を通じ多数の署名をいただきありがとうございました。
今後一層の名誉回復を願っております。
A 以下3点
① 開拓使官有物を安田定則以下四人の開拓使官吏が職を辞して設立する民間会社に払い下げることを提案した明治14年7月21日付開拓長官黒田清隆の三条実美太政大臣宛「工場其他払下処分の儀に付伺」。および同「伺」を「聞き届けた」ことを示す明治14年8月1日付政府文書(いずれも国立公文書館所蔵)。
② 明治14年7月26日「東京横浜毎日新聞」社説が誤報であり、官有物払い下げ先は開拓使の官吏が「官職を辞して」設立しようとした民間会社であることを報じた明治14年8月5日「朝野新聞」論説(国会図書館所蔵)。
③ 開拓長官黒田清隆の三条実美太政大臣宛政府文書「工場其他払下処分の儀に付伺」を掲載し、官有物払い下げ先が安田定則以下四人の開拓使官吏が職を辞して設立する民間会社であることを報じた明治14年9月5日付「郵便報知新聞」。および明治14年9月6日・7日付「朝野新聞」(いずれも国会図書館所蔵)。
B 明治4年(1871年)8月19日に10年間1,000万円をもって総額とするという大規模予算計画、いわゆる開拓使十年計画が決定された。(当時の国の財政規模は5000~6000万円)
C*1400万円~2000万円余と諸説あり
D 現在の毎日新聞社とは別会社であり政党新聞で現在の新聞とは編集方針が異なる