今を輝く天商卒業生でユニークな仕事に就いた人の考え方・きっかけ・生き方・夢を皆様にお届けします。
「何がしたいんだろう?」と迷っている人「どうやったら夢が実現するのか?」と考えている人に読んでもらい、才能溢れた多くの人の”自分の可能性”について考える機会となることを願っています。あるいは、記事を読み終えた時に「応援したいなあ」「頑張ろう」「誰かに自慢しよう」「自分の子供(孫)に読ませたい」という気持ちになっていただければと思っています。
出会った方々に支えられ、歩んできた私の人生
比嘉 悟さん(高21回)
天商在学中、バスケットボール部でインターハイに出場。日体大卒業後は体育教師として府の教育に尽力し、府立北千里高校校長を経て、芦屋大学の学長を務められる。今春、学校法人芦屋学園第12代理事長に就任(学長兼務)。
私の人生は、高校教員で終える予定でしたが、目に見えない運命により、現在、芦屋学園理事長・芦屋大学学長という立場で勤務しております。振り返ると、今までに出逢った方々の支えと辛い体験が私を育ててくれたように思います。
まず、極貧家庭に生まれ、夜逃げ等のどん底生活が本当の優しさを育んでくれました。さらに、どんな時にも母親は笑顔を忘れず、子ども達が卑屈にならぬよう育て、さらに、このような経験が、誰とも分け隔てすることなく接し、謙虚さを忘れず、日々の生活に感謝しながら生きることに繋がりました。
高校は、当時、天商バスケ部が全国的な強豪校という理由で受験を決定。合格は無理と主任教諭に断言されたが、多い日は11時間勉強をして合格を獲得。憧れは魂を揺さぶる原動力となり、諦めず努力すれば、夢が叶うということが15歳の少年の魂に宿り、インターハイ、国体にも行くことができました。さらに、時代を先取りした授業内容の教えが、今も鮮明に蘇ります。
大学時代は、バスケ合宿所生活の4年間が社会の教室の窓でした。封建的な組織で一度は逃亡もしましたが、苦しみの体験を通し集団での生き方の4つの法則、『理不尽に耐える力』『時を待つ』『改革はチーム全員を巻き込むこと』『改革はリーダーの強い意志があれば必ず変えられる』を駆使して、4年時には350名の主将として組織改革を行い、全国大学バスケットボール選手権にて準優勝の結果も残しました。さらに、その後の人生の中で困難なことに遭遇した時にも的確な判断で乗り越えることができています。
社会人になり、教員、教育委員会、大イベントの開催責任者、体育館勤務など勤務形態が変わり、多彩な方々との出会いがありました。その中で「セレンディピティ」という偶然の出会いをきっかけに自分の人生を発展させていく幸運を掴む力を養い、多くの方々が私に力を貸してくれています。これからも、日本一の大学『卒業生全員がそれぞれの天職の仕事に就く』ことを目標に頑張ります。
最後に、天商卒業を誇りに思うと同時に、同窓会の益々のご発展をお祈りして筆を置かせていただきます。ありがとうございました。
山岸 紀子さん(高43回)
天商卒業後、一般企業に就職するが退職。食べ物を生産する農業について学ぼうと岩手大学に進学。果樹の開花促進に関する研究で平成28年度科学技術分野の文部科学大臣表彰・科学技術賞を受賞。
天商を選んだのは父の勧めです。天商は父(昭和19年生まれ)にとって憧れの存在だったそうで、私が天商に入ったことをとても喜んでくれました。好きで得意な教科は家庭科と国語と社会(歴史)でした。好きな教科しか勉強しないという悪い学生でした。
思い出深い先生は担任を受け持っていただいた中村先生、竹腰先生、早崎先生、家庭科の山本先生、保健室の石井先生です。将来については深く考えておらず、普通に卒業して普通に働いて普通に暮らしていくのだろうと漠然と考えていました。
天商を卒業後、イセト紙工株式会社に就職させていただきました。上司や先輩の方々に恵まれ、たいへん幸せでした。しかしながら、社会に出るには自分自身があまりにも未熟であることを日々思い知るようになり、なんの恩返しもできないまま、退職することとなりました。退職後しばらくは自己嫌悪で悶々と暮らしていましたが、ある日、この壁を超えるには何事かを成すしかないと思い、大学受験を思い立ちました。食べ物を生産する農業について学ぼうと農学部をめざすことにし、当時の大学の紹介本のなかで、「農学部を中心に発展した異色の総合大学」と紹介されていた岩手大学に一目惚れし、岩手大学を目指すことにしました。分野としては理系になりますので、特に天商生時代ほとんど勉強しなかった数学(岡本先生申し訳ありません)はかなり苦労しましたが、得意の国語と日本史でセンター試験を何とか逃げ切り、岩手大学農学部の前期日程2次試験に挑み、結果、岩手大学農学部に合格することができました。研究に携わるきっかけは、大学3年次の研究室配属です。植物の分子生物学を研究する研究室に配属となり、ハードな実験スケジュールをこなしていくうちに、まだ誰も見たことのない世界を見ることのできる研究という仕事にやりがいを感じるようになりました。大学卒業後は植物や植物ウイルスに関するプロジェクトを渡り歩く形で研究を続けています。どんな仕事でも大変ですが、研究という仕事もなかなか大変で、常に背水の陣というぎりぎりの状態で、結果を出すべく試行錯誤しています。
今後の目標としましては、開発した技術を実際の植物の育種現場で使用することができるようになることです。現在所属しているプロジェクトは、そのような研究成果の実用化を目標としたもので、これまでの研究成果の集大成となると考えられます。実現に向けて力を尽くしたいと思っております。
橋本 薫さん(高46回)
天商卒業後、大学へ進学することなく難関国家資格とされる公認会計士を取得し、その後弁護士資格も取得。
現在、海外進出支援や事業再編をはじめ、民事再生申立事件や親族相続の紛争に至るまで、たくさんの異なった分野の事件に従事。
◆◇典型的な優等生タイプではありませんでした◇◆
広報委員塩尻 橋本薫さんは、めっちゃ頑張った思わず応援したくなるすごい後輩のひとりに違いないのですが、勉強好きでこれまで順風満帆だったのですか?
橋本 いいえ。私、天商の時の成績は悪く、遅刻や欠席もそれなりにしていて褒められたものではないんですよ。
塩尻 えっ??? 学校嫌やったん(爆)???
橋本 部活は一生懸命していましたね。勉強の成績は思わしくありませんでしたが、簿記は頑張っていたように思います。
塩尻 簿記会計の授業はおもしろかったということ?あるいは、早い段階で会計士になろうと思って、簿記を勉強していたということ???
橋本 早川先生より簿記を学びその楽しさを知った。これが大きかったように思います。公認会計士という資格は天商在学中に賢い友人から聞いてはじめて知ったんです。もともと実家が商売をしていて税理士さんという職業は知っていたのですが、会計士という職業は入学時に知らなかったんです。
塩尻 天商に入学した時点で目指していたものは、違うものだったのですね。
橋本 天商を選んだのは、高校を出たら仕事をしよう、手に職をつけよう!みたいなことを思い商業高校の1番校、そして情報システム科を目指したのです。
◆◇しんどいけど、おもしろいという感覚◇◆
塩尻 ところが、会計士を目指したのですね???
橋本 大学に進学しなくとも会計士になれるし、その実績もあるらしいことを聞いて関心を持ちました。学校の勉強のなかでも簿記が楽しく、検定試験で満点をとれたり、懸賞課題テストで上位に入賞できたことで勇気付けられたのかも知れません。
塩尻 もしかして、試験勉強は苦にならなかった?
橋本 天商にいた時よりも相当勉強したのは確かで毎日10~14時間くらいの勉強を2~3年続けるのですから、楽ではありませんでした。
塩尻 10代の最後2年と20歳の1年という極めて大切な時間を自分に投資した!ということですね。友人と楽しく喋ったり、バイトして学費を稼ぎたくなるような時期かと思うのですが、どうしてこんなに頑張れたのでしょうか?
橋本 簿記の問題を解いていると、パズルみたいな感覚があって面白かった気がします。もちろん、仕訳そのものは論理的ですが。
塩尻 「しんどさ」のなかにも「おもしろさ」があって頑張れたということでしょうか。
橋本 そうですね。自分が他の方より優れているのではなく、「おもしろさ」に気付き、しんどいながらも熱心に日々積み重ねができたことが会計士試験合格に繋がったように思います。
◆◇才能・個性・運命に思うこと◇◆
塩尻 「あの人は才能があっていいなぁ」とか「あの人は運が良くていいなぁ」さらに言うと「自分も頑張ったけど結果が出ないんだ!(怒)」なんて、羨んだり・妬んだりするような声をどのように思いますか?あっ、決して、橋本さんに向けられている声ではありません。(爆)予めお断りしておきます。
橋本 生まれながらにして平等という言葉がありますが。。。
塩尻 さすが法律の専門家!
橋本 人それぞれに長所短所があり才能も違います。運・不運も個人差がありそうです。ただ、その人に見合う試練が用意されている気もします。同時に自分を助ける何かも近くにありそうな気がしてなりません。
塩尻 なるほど。わかりました。要するに、人それぞれに長所・短所が異なり、個性があるのだけれども、その人が経験することになる試練、試練を乗り越えるために用意されている助け舟なんかをひっくるめてトータルで見ると平等ではないか、ということですね。道が開けるかどうかは助け舟の存在に気付き、手繰り寄せることができるか、熱意をエネルギーとして精一杯限界に挑戦しているかということでしょうか。
橋本 そうですね。やはり天商で簿記のおもしろさに気が付けたのが大きいですね。
◆◇壁◇◆
塩尻 前向きに考え、頑張ったのは理解できました。でも、壁みたいなものにぶつかった経験はありませんか?先程あった試練の話の関連で聞いてみたいのですが。
橋本 何度かありますね。会計士試験に合格し、監査法人に就職するのですが、その時思うように成果が得られませんでした。
塩尻 周りは大卒の会計士ばかりで、新しく入ってくる部下も年上の男の子が当たり前、仕事で接する相手は自分の両親より年上で対等で話をし、自らの意見を述べながら相手の協力を得なければならないという簡単ではない環境で社会的責任の重い仕事を堅実に執行しないといけませんもんね。
橋本 軌道に乗るまで時間がかかりました。
塩尻 浮上するキッカケを何らかの形で掴み、壁を越え軌道に乗ったんだろうと思いますが、その時、どんな出来事があったのですか?
橋本 とある卸売業でのことです。証憑を丁寧に見ていたら請求金額と入金された金額に違いがあることに気が付きました。
塩尻 振込手数料分を差し引かれていたという次元ではなかったのですね。
橋本 チョットした金額ではなく、それなりの金額でしたから。違いの原因を調べると、その会社の問題点に気が付けました。
塩尻 起きている現象を指摘するのではなく、その根底にある問題点を発見し、指摘するのですから自信になりますね。
橋本 限られた時間の中で、根本的な問題点を自分自身の手で探る時間を与えてくれる組織風土だったのが助かりました。
塩尻 そうか!!! 助け舟というのは、ある時はヒト、ある時は組織、ある時は時間というように、様々なんですね。
◆◇問題が起きる前に先手を打つ◇◆
塩尻 浮上するキッカケを掴み軌道に乗ったけれども、会計士から弁護士の世界へ進まれました。何があったのですか???
橋本 監査法人でマネージャー職(主査格)を務めていたある時に、決算書をチェックして監査報告書に署名する将来の自分を想像すると、このまま続ける仕事ではない気がしました。ただ、監査の過程で気付いた要改善事項について法令や規則でどうなっているかを踏まえて、どう取り組むのが良いか、ということを考えることは好きでした。
塩尻 問題を見つけて、ケシカラン(怒!)と指摘するタイプではなく、人助けのような話ですね。難関資格のなかでも医師と弁護士は、病気になったりもめごとが起きた時のようにヒトに不幸な出来事があった時に出番がやってくるイメージがあるように思いますが、弁護士の仕事を通じてどのようなことを思われますか?
橋本 確かにそのような面はあるかも知れません。ただ、私としては出来事が起きてしまう前に、何とかしたいという気持ちが強いです。感覚を研ぎ澄まし、必要な事項を調べ、人の繋がりを充実させ、事前に助言できるように準備しています。
◆◇人脈を繋ぐ◇◆
塩尻 弁護士になってたくさんの異なった分野の事件に従事されていると思いますが、特徴的なことはどのようなことですか?
橋本 国内に限定せず特徴的とすれば、以前に中国語に接する機会があったこともあり、インドネシア進出企業のお世話のようなことをしていることでしょうか。インドネシアにはしばらく人口ボーナスにより成長が期待できることもあり、進出を希望する企業に法律面でサポートできるよう事務所として取組んでいます。
塩尻 華僑の影響なのか、東南アジアは割と中国語が通じるんですね。数年前にインドネシアの事を調べたら確か、国全体の平均年齢が28歳でした。日本の場合40代後半と思いますがずいぶん違いますね。
橋本 経済発展に支えられて購買力のある中間層が続々と生まれています。それを見越して日本企業の進出が活発です。
塩尻 法律にも会計にも明るい橋本さんから、現地法人を設立する場合はこう、支店を開設する場合はこう、というようにメリット・デメリットを解説されたら、ものすごく説得力ありそうですね。
橋本 いえいえ。良い助言をしようにも自分一人だけでは限界がありますので、現地の方を含めて人の繋がりを大切にしています。
塩尻 松下幸之助さんの衆知を集めるみたいな話、あるいは三人寄れば文殊の知恵みたいなことを思い浮かべました。最後に読者に向けてメッセージをお願いできませんか?
橋本 人脈を繋ぐことを大切にしてきたことで可能性が広がったように思います。知恵が得られたり、壁を越える助けとなったり様々でした。
塩尻 長時間に及ぶ対談にご協力くださりありがとうございました。益々のご活躍を願っています。